228事件-中華民国と台湾

台湾のカレンダーを見ると228は平和記念日となっています。この日はどんな日なのか、話は長くなりますが知っていただけると嬉しいです。

228のタバコ事件は知られていますが、この日以降の事はあまり知られていません。

1945年8月に第二次世界大戦が終わったあと、日本は敗戦国となり、台湾を放棄することになりました

50年の日本時代が終わって、中華民国に統治する時代が始まってしまいました

元々台湾人は国民党の来ることに楽しみにしていました

なのに、来たのはぼろぼろの姿をした軍隊でした

それから、中華民国政府は台湾人からたくさんのお金やお米などの資産・財産を奪って、中国大陸で勃発していた国共戦争を支援してました

台湾の物価が高まって、中華民国政府は新台湾元の1元で旧台湾元4万元を交換しました

台湾人は貧乏になってしまいました

1946年に国民党は台湾に来てから二年目、一年も経たずに、日本時代になくなった感染症中国から来た人達に持ち込まれ、台湾人に移しました。たくさんの台湾人が亡くなってしまいました。国民党は嘉義布袋を封鎖し、ただ自然消滅するのを待ち市民を見殺しにしました。

中国から来た連中感染症解決方法は「封鎖」です!

2003年になってもね。中国人はやり方が変わりません。

SARSの時期台北市長馬英九と台北市衛生局長邱淑媞は院内感染で和平病院を封鎖しました。その時病院にいた医療従事者、お見舞い、家族などの人も全員出れませんでした。まるで、臭い物に蓋をするによう扱います

結局、150人和平病院内で感染してしまい、35人が亡くなってしまいました。1 人首吊り自殺しました。亡くなった医療従事者もいました。

2020年にも。中国は最初この新しい病気を隠してて、封鎖された街はどんどん増えてきました。

1947年の228タバコ事件は蒋介石が同年3月8日の計画的な大規模殺人事件(March Massacre)を合理化させるため、国民党の罪を隠すために台湾人に小さい頃から教科書でそう教えたんです

蒋介石は数え切れない台湾のエリートを殺したり、家族も逃さないように殺しました

多くの人はただちょっとお出かけしただけなのに、殺されたり、捕まえたり、行方不明となりました。しかも殺し方はただ文字を読んだだけで泣きます。

本省人と外省人の衝突なんかじゃありません。

台北には中正紀念堂がありますね。中正紀念堂を建つ事はヒトラー記念館を建つ事と同じようなものです!

 国民党は人殺しを記念するために建てた中正紀念堂

そして、白色テロ時代が始まりました…多くの台湾人は捕まえられないために、台湾に帰れずに亡くなるまで海外にいていました。

日本は離れることを思わなかった。結局、離れた

中華民国は離れられないことを思わなかった。結局、離れられない

国際法上、現在、台湾の主権は未確定の状況です。

中華民国の建国は1912年1月1日で、中華人民共和国の建国は1949年10月1日です

台湾も中華民国も中華人民共和国の領土ではありません!

でも中華人民共和国はずっとそう主張していますね

これはまるで、息子が父親にお父さんと呼ばせるような感じです^^;

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